皆さんこんにちは。
国民民主党埼玉県第4区総支部長のあさの克彦です。

最近の世の中の状況を見て特に政治特にコロナの関係で、私が非常に懸念していることに悪者探しというものがあります。

私はなにか不測の事態が起きたときに、その原因を究明することは大事ですが犯人探しや悪者探しをしてもなんの解決にもならないと言い続けてきました。
誰が悪いかではなくて、何処に問題があるのか、どんな制度に欠陥があるのかを考えることこそが未来型の議論の礎になるのではないかと考えています。

吉村知事の発言をを闇雲に批判しても何も解決しない

最近イソジン(ポビドンヨード)という消毒薬がコロナに効果があるのではないかということを大阪府知事が発言されました。
言い方が非常に誤解を招いてしまい、結果的には「感染拡大を予防する一助に可能性がある」という発言を改めて行いました。

その後、発言を巡って様々な議論があったのですが、知事としてどうなのかとか吉村自体がが良い悪いといったような話に発展していきました。

しかし、大事なのはそこではなくて、なぜ今までデータに基づいて慎重にコロナ対策を行ってきた吉村知事が、若干先走ったような発言をしたかというところです。

その裏には、大阪の研究をしていた医師の存在が大きいと思います。

誤解なきよう書きますが、医師や研究者が悪いと言いたいのではありません。
医師や研究者も、信念に基づいた研究を行い一定の結果が出たものに対していち早く知事に報告に上がった。
知事もその報告を聞いて「これは一つに光になるかもしれない」と思って発表してしまった。

ということなんだと思います。

何が悪かったのかを冷静に考える

ここで原因となることを考えるのであれば、学会の論文などでは当たり前のように行われていることですが、様々な視点からその研究結果が正しいかどうかを検討してから世に出すわけですが、今回はそうしたプロセスはなかったんだろうと推測しています。
研究者は研究の結果について一定の方向性を予測して研究する場合が多いですから、時には視野が狭くなってしまったりすることもあるわけで、そうしたことを防ぐためにこうしたプロセスを踏むことは大切です。

ですから、今回の大阪の件で言えば、複数の研究者、もっと言えば、肯定的な意見を持つ研究者と否定的な意見を持つ研究者に常にチェックしてもらうようなスキームが必要であったのではないかと思います。

他人事ではない権威主義

こうしたことは、今回のケースに限ったことではなく日本社会全体にも言えることだと思います。

たとえば、皆さんは「特定保健用食品」というものをご存知でしょうか。
いわゆる「特保(とくほ)」ですね。

特保(とくほ)のマークが付いていると、その効果があると思われていのではないでしょうか。

もちろん様々なチェックは行われているのですが、特保の説明書きをよく読んでみたことはあるでしょうか。

私は、現代人はどんなものでも権威を与えられると鵜呑みにしてしまうという傾向が強いと思います。

常日頃から、あえて批判的に物事を見てみるというのも大切になってくると思います。

実は教育に問題点がある?

OECD加盟国の中では批判的な意見を出す教育が50%を超えることがある中で、我が国ではそうした授業は16%程度だと言われています。
日本では批判的な意見を出して議論するといった授業はほとんどやっていない、さらに答えのない正解のない問題にたいして議論する授業というのを殆どやっていない状態です。

一方で、素直な良い子を育てるという教育は成功していると家、災害時に秩序を保つなどの良い側面もあります。

しかし、今後はこうした教育のあり方についてもバランスの取れたものにしていく必要があると思います。

今回は消毒薬の問題から日本の教育における問題点が見えてくるというお話でした。